単身赴任とは子捨てである。
このように、進化心理学を学んでいて気づく。人間の構造が1万年前からほぼ変わらないとすると、単身赴任とは遠く離れた土地に子どもと女を置いて、自分のしたいことをしているのと同じである。
1万年前ならば、子どもと女は野生の獣や他の人間に命を奪われる可能性があることを考えると、それは今の時代、どんな名目があろうとも「子捨て」としか思えない。
1. 男の方が子捨てをしやすい
父(男)は、精子の製造コストが卵子よりも低いから、子孫を残せる上限が高い。そのため、仮に子供を作ったとしても、一人の子供に与える資源は母よりは少ない。
なぜなら、女の方が子孫を残す上限は男よりも低く(しかし適用度格差は低いが)、一人の子どもの重要性が男よりも高い。だから、男は、女が子を大切にするという確信をもって、子捨てができるのだ。多くの離婚家庭の母が子どもを引き取る割合が圧倒的に高いように。
まず、我が父を見ると、単身赴任を望んでいる家族は驚くことに父以外誰もいない。しかし、昇進したいという自らの願いをひっさげ、遠くへと行く。子もその母も、大変苦い汁しかなめていない。
2. 理想自己 俯瞰
このように、単身赴任を学問の視点から考えてみた。置いて行かれた妻と子は苦労している。本当に家族を大切に思うなら、個を殺してでも家族と毎日会えるように努力するはずだ。
逆に、男の立場から見れば、理想自己(自分の思い描く理想のイメージ)に近づけるため、子と家族が障壁になる可能性もある。
また、 自分の理想自己を追求してない状態で子供が出来ると、無用な期待をかけすぎて、いわゆる心理的虐待に陥る可能性もある 。
そのため、子を作るのは自分の理想自己を、ある程度達成したときが理想だ。子どもが授かる時代から、能動的に作ったりその存在をなかったことにできる時代だから、親が未熟な状態では子も不幸になる。そのため、長期的な視野を育てることが大切だろう。
しかし、単身赴任がある組織に就職したならば、そのような未来しか待っていないのかは、社会構造の研究をしなければわからない。父もそうだが、文化や社会の方にも責任はある。