「あんな人にはなりたくない」
僕も、このように人を差別して生きてきた。しかし、差別していた側に自分もなるという経験をしており、本当に悲しく、自分が馬鹿であると思う。
これらの過去を踏まえると、自分が差別してしまう人を見た時に、「自分はこの人と違う」と境界を引くのでなく、「どうやったらこのような人間に育つのか」と、逆算した視点を持つことが重要であろう。
1. フリーター
僕は、現在フリーターである。大学院を中退し、一社目も心身の悲鳴でやめた。このように、大学を卒業してからの社会履歴は散々なものである。
一方、過去の僕は「フリーター」を差別していた節がある。これは、社会的な風潮から影響を受け、学生のころの僕は「フリーター」への意識はポジティブではなかった。
自分のバイト先で、年齢が少し上のフリーターのお兄さんを見ると、「この人、就職しないのかな?」と不思議な存在で見ていた。そして数年後、僕はフリーターになった。
周りや親からも否定的な口をきかれるし、かといって一瞬で就職できるわけでは無いから、目指すものになるまでは「フリーター」として、世間の「普通」に身を削らなければならない。
このように、これらの経験を踏まえると、「あいつと俺(私)は違う」という、「差別意識」は、僕にとっても、おそらく大多数の人にとっても、自分がそうなる可能性を排除してしまう「視野狭窄」なのである。
視野が狭まると危険で、自分が今にも崩れそうな細道を歩いているにも関わらず、「自分は大丈夫」と、今後の予測をおろそかにしてしまう。
2. 今後
このように、心の内で差別してしまっている人に対して、自分はどのような過程を踏めばこのような存在にいたるのかという発想が、「自分はこの人とは違う」と差別することよりも、とても大切である。
まず、現在僕は、「65歳以上になっても低い賃金で働かなければならない先輩」が苦手である。日々の雑務を僕に押し付けてくるし、世代の価値観を押しつけてくるのもうっとうしい。
しかし、「こうはならんな」と、自分の将来の安泰に安乗りするのでなく、自分はどのような過程を経れば、このようになってしまうのかを考えたい。
2-1. 資産と利他とアサーションなど、同調行動の多さ
そのような人に、僕はどのような過程を踏んだらなってしまうのだろう。まず、その人はとても「消費行動」が好きだ。メディアや周りの好きなものを自分の好きと錯覚し、惜しみなくお金を垂れ流す。
そして、自分も危険である。ストレスが溜まると衝動的な旅に出てしまい、貯金などできない。この癖を予防していくために、こまめにレシートを見直す癖をつけたり、給料が入ったとしたら天引きで、入金の手数料がかかる口座に貯蓄(不便益を享受)すること、また、お金の使い方も商品を買ったり、旅行に行く、サービスを受けるだけでなく、自分の商品や資産を作る・旅行も仕事や法人の経費を使っていく、サービスやイベントを作る方向に消費していけば、その人の道から外れる。
さらに、その人を見ると、非常に「利他精神」が薄い。しかし、僕も自己愛が強大なナルシズムを持っており、人への利他を好ましく思わない口がある。そのため、人からの頼まれごとは自分のできる範囲で受け持ってみたり、口でなく行動で人への利他を示し続けたい。「利他日記」も積極的につけていきたい。
また、アサーションの下手さも肝心だ。かと言う僕も、アサーションが下手くそである。しかし、大好きな心理学やそれらの人の観察から、アサーションの良し悪しを抽出し、自分のアサーションのスキルを高めていく。
先ほど、文章を書いてみて驚いたが、意外とその人と一致していることは多く、自分の行動を変えていくのは喫緊の課題である。
3. 中年の生理的にむり男女
社会人になったり、現在はバイトをしているが、中年(40~50)のなぜか好きになれない人間がいる。
僕にくそなことをしてきた上司も40の中年男性だし、現在のバイト先で、明らかに僕を同僚というよりオスとしてみてくる50くらいの女性がいる(気のせいかもね、でも女性の男性への言い寄り方が顕著に見えるときがある)。
それらの男女を、僕は「軽蔑」してしまう。「昔は、若さがあって多少はモテたかもしれないけれど、それのみを取り柄として生きてきて、それが枯れた男女は悲惨だな」と。
しかし、僕はどうなればそのような道を歩むのか、逆算して考える。
まず、どちらの人間も「結婚と離婚」を経験していること。すぐに異性とくっつき、法的な契約を交わすが、それが数年後には立ち行かなくなってしまう。しかし、かという僕もそれらの人たちと近い特性を持つ。
自分を好いてくれる異性がいたら、すぐにくっつこうと思うし、元の彼女たちとも「結婚しようと」と言われていれば、おそらく呆気なく首を下げただろう。自分も、後先考えずに異性と結婚し、離婚する可能性は多分にあり、それを避ける対策は今のところ分からない。しかし、これらの先人の経験を踏まえると、「結婚が幸せになる絶対条件」というのは、メディアや社会通念の心への浸食であり、自分の幸せには直結しない可能性が示される。
ということは、生涯、結婚しないという選択肢も入れるべきだろう。しかし、女性とは生殖したいし、子孫も残したいから、「普通」とは違った形で自分の願望を模索していく。とりあえず、一時的な相思相愛の異性との結婚は、危険かな。
次は、中年になったさいの生理的非受容感について。いくら、あちらがこちらに媚びてこようとも、なぜか仲良くしたいとは思えない。その理由として、ただ若い人に媚びているように見えるし、内的な思考力や内への深さが不足しているように思える。
かといって尊敬できる人は、読者や思想を楽しみ、そして、社会的に容認される資格を持って安定的な生活とともに、自分のとげをいかした仕事もしている。
これらを考えると、大学院を退学し、堅実なルートを歩んでいない自分は、若い人に生理的にうけつけられないおじさんになる可能性が高い。それを避けるには、若さに頼らない技能・人柄・知識体系、また、ある程度は社会常識に流されながらも堅実な人生設計(不動産、資産、資格などなど)を中年になるまでに、挑戦とともに積み重ねていくことが大切なのかもしれない。
これらは現在の仮説であり、今後も「差別」という視野狭窄を脱していきたいところだ。