「あなたのことを一生愛すから」
このような言葉を、付き合った経験があり一時でも結婚を考えたことのある方なら、パートナーから言われた経験があるだろう。しかし、この言葉、統計的にも、生物学的にも、ほぼ「嘘」であることが分かる。
オキシトシンのレベルが高い個体(家族との仲を聞いてみて、それが非常に良好)や、本当に行動のみ見て自分のみに尽くしていると思われるなら、例外はあるが、ほぼ嘘である。自分のパートナーが嘘をついていない確率よりも、嘘をついている確率の方が、またはそのときは本気で思っていても、長期的な視野に欠ける人間は、将来の自分の気持ちを把握することができないことも多く、それを言っている本人も、それが嘘であるとは自覚していない。
1. 統計的な問題 離婚夫婦は氷山の一角
まず、「あなたを一生愛すから」とパートナーが口にしたとする。しかし、日本の離婚率というか、世界でも「結婚」するカップルの大半は、当初はそう思っているのだ。
しかし、結果はどうだ、初めのドーパミンのみの恋が終われば、夢幻的な感情だと思い知らされる男女のなんと多きことか。事実、大半の夫婦は上手くいかなくなるし、別のパートナーを見つける。
離婚率はカップルが破綻する確率の氷山の一角にすぎず、人はある程度、結婚する前に多少の恋愛を繰り返すのだから、1つの恋愛が終わる確率の方が高い。
それゆえに、恋の燃え上がりのさなかにいる男女は気づかないのだが、その恋は高い確率で終わるか、稀有な確率で永続するのだが、人間は自分が後者であると勘違いする傾向がある(僕も、プロスペクト理論に通ずることがあるかもしれない)。
2. 生物学・進化心理学的な問題
次は、生物学や進化心理学から見てみよう。
まず、男性は若くて繁殖価の高く美人な女性を愛す。また、女性は経済的に優れている男性と格好のいい男性を愛す。これは生物に共通するものであり、好きには普遍の法則が組み込まれている。
それを自覚していないのはいいのだが、そのような男女は、年をとってから苦労をしているように見える。あくまで、主観的な意見だが。
話を戻すが、この法則によれば、「あなたを一生愛すから」と言葉にした状況では、お互いの利害が一致しているかもしれないが、パートナーが生物学・進化心理学的に、自分の無意識の衝動の枠から外れてしまったとき、その愛は終わる。
批判されても仕方ないが、これは非常に残酷な事実。
3. 相手が好いてくれた自分の面は本望か そうでないか
また、恋愛が始まった時期の自分が、相手にどう魅力的に映ったのかを見てみよう。例えば、学生のときに知り合ったならば、それは社会人となり、男の価値がおしゃれや運動能力の高さよりも経済性に変化したとき、または、女性が初花から離れた時、恋の始まりとは状況が変わる。
一途に愛すとは、きれいな言葉だが、そのような状況にあるカップルは、単にお互いの利害が一致しているのみで、狭小なそのカップルのみに存在する法則はほぼない。
このように、自分の現在の状況と身体的な魅力を総合して、相手は「一生愛す」と言っているのであり、そうでない状況に至った場合、相手からの愛は消えると思っておいた方がよい。
まず、恋愛をし、パートナーから愛され続けるためには、互いのニーズと合致した相手を選ぶべきだし(生物学的にも精神的にも)、相手の「一生愛す」という言葉は信じることなく、別れたあとの行動や逆に、自分を犠牲にして愛される資質が失われるならば、自分のために相手を切り捨てるという選択が、精神的な「死」を避ける最善の策だろう。
男女の関係で人生を破綻させる例は枚挙にいとまがないのだから、恋愛では利己的に行動したほうがよく、パートナーの言葉はほぼ嘘であると生物の原則を俯瞰したほうが、案外、恋愛人生はうまくいくのかもしれない。